Fragment 51 -隣の客(1)-

シャールスタイン・田中

 「失礼だが、あんた猫を飼ってますか?」

 そんなことを急に聞かれたので狼狽しつつも「いえ、飼ってませんけど」などとわりあい素直に答えてしまった。

 「なんだか醤油をかけた鰹節みたいな臭いがしたもんだから」男は言い訳のように呟いて顔を逸らした。

 だいたい見ず知らずの人に向かって「あんた」呼ばわりはないでしょ。全く失礼だわ。あ、だから始めに「失礼だが」と断ったのか。いいえ、断わりゃいいってもんじゃないわ。それに「醤油をかけた鰹節みたいな臭い」って何よ?ただの鰹節の臭いとどう違うってわけ?
 矢継ぎ早に腹を立てつつも結局それを口には出さなかった。そして男の方を横目でちらっと窺ったが、徹底的にぼんやりと窓の外の景色に見入っているので重ねて腹が立った。こんなことなら一つだけ空いてたこの席に座らずに立ってりゃ良かった。

 隣の男のことは全く無視することに決めた。しかし無視しようとすればするほど自分の意識がぎこちなく男の方に向くのが分かった。でもどうしてあたしが今朝ご飯に鰹節をかけて食べたのが分かったのかしら?
 バッグの中に口臭防止成分の入ったガムがあったのを思い出し、それをまさぐった。隣の男は見ていないような顔をしてこちらのすることに全て目を光らせている、と感じた。「ほらほら、今にガムを取り出して噛みはじめるぞ、カツブシ女め・・・」そうはいかないわ、ガムなんてぜったい噛まないんだから。
 と、男がこちらに顔を向けた「あの、すいませんが」。
 「あたしが何を食べようと勝手でしょ?」とっさに大きな声を出してしまった。
 「は?そうじゃなくて、次で降りるんで通してくれませんか。」

 その時になってはじめて目的の停留所を3つも通り過ぎていたことを知った。なんだか悔しかったけれど、その男と一緒にバスを降りた。停留所の目の前に馬糞が積まれて幸せそうに湯気を立てているのを見てとてつもなく空しい気分になった。男は馬糞の山の上で遊ぶ雀を嬉しそうに眺めつつ、ゆっくりと去っていった。

 日ざしが強くなった。風はちっとも吹いてない。反対方向へ行くバスは42分も待たなくてはならなかった。


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