シャールスタイン・田中
気が付くと枯葉が風に舞っていた。今年もまた、あの季節にやってきたのだ。僕は空いている方の手−片手には楽器のケースを持っていた−で目にかかった前髪をかきあげた。
何気なく枯葉の一枚を目で追っていると、それは赤くあるいは黄色くなった並木の間を通り抜け、運河に架かる橋の上に降りた。橋の横から突き出た街燈に止まった烏がこちらを見ているような気がした。少し不安になった僕は足を早めた。
店に着いたとき約束の時間は5分過ぎていた。他のメンバーたちは全員集まっている。彼らの批判がましい視線に気付かない振りをしながらマスターはまだ来ていないのか、と訊いた。「まだ来ちゃぁいないよ、8時過ぎないと来ない積りだろう」ドラマーが吐き捨てるように言った。
ここのマスターはすぐ隣のマンションに住んでいながら店を開けるのを僕らバンドマンに任せ、開演時間ギリギリにならないと顔を出さない。ここでライブをやるのは二度目だが、初めてここに来た時、詳しい事情を知らされずにいた僕たちは店の前で2時間近く待たされる羽目になった。開演時間ちょうどにやってきたマスターは「ドアの鍵はこの郵便受けに入ってるから勝手に開けといてくれって言わなかった?」と絶望的に軽薄な調子で言った。マスターとの連絡係になっていたドラマーは「そんなこと全然聞いてませんっ」と怒鳴り、初日早々険悪な空気が漂った。
そんなこともあってメンバーたちにはここのマスターの評判があまりよくない。できればこんな店で演りたくないのだが、駅から近いし広さも適当で条件には恵まれている方だ。
コートを脱ぎ、楽器ケースを開けた。隅の方になにか光るものがあり、イヤリングが片方だけ入っている。そんなものを入れた覚えはなかった。一体どういうことなのだろうと考えたがさっぱり訳が分らない。僕は混乱してそれをしばらく眺めていたが再びケースの隅に放り込み、まるで僕の混乱を封じ込めるかのようにケースの留め金をしっかりと掛けた。
簡単に曲目と構成について打ち合わせを済ませると僕たちは冷蔵庫からウーロン茶を出してきて飲んだ。バーボンでも飲みたい気分だったが、演奏前にアルコールは御法度なのだ。
ふとメロディーの断片が浮かんだ。近くに積んであるチラシの裏に書き付け、ピアノでコードを押さえてみる。16小節のボサノバ調の曲になった。五線紙4枚に同じ楽譜を書き写し、メンバーに配る。「この曲をラストの前に入れよう。」ピアニストが曲のタイトルを訊ねた。さっきの烏の姿が頭をよぎった。「『風』だ」