Fragment 9 - 犬 -

シャールスタイン・田中

 その犬は公園の隅に退屈気味に寝そべっていた。わたしが近付いてゆくと嬉しそうによだれを垂らしながら跳びかかってきた。立ち上がると2mちかくありそうだ。前足をわたしの両肩に載せている。大きな口が目の前に迫り、わたしは多少ひるみながらお座りを命じた。
 犬は思ったより素直に命令に従った。頭をなでてやる。犬は何か褒美に食うものをもらえると思っているようだったが、あいにくそんなものは持ち合わせていない。「さあ、行こう」と言ってわたしは歩き出した。犬は不満そうな顔をしたがわたしの左側についてきた。
 「きみ、犬を飼ったことはある?」犬が訊ねた。「いや、ない。」犬はがっかりしたようだった。「猫を飼ったことは?」今度はわたしが訊いた。「いいや」犬は怪訝そうにこちらを見た「きみはあるの?」。「いや、ぼくもない」道は下り坂になっている。「よかった、共通の話題があって。」犬は笑った。
 道の左側に本棚が置いてある。高さ2mほどで合板製の粗末なものだが、本は一冊も入っておらず、その代わり下から二段目に全身を包帯でぐるぐる巻きにした男(だと思う)が窮屈そうに寝ている。
 「ここに女の屍体を詰めるのが好きな奴がいてね」犬は本棚を鼻で指しながら言った。「ほら、そこにも血の跡があるだろう?」見ると包帯男の姿は消え、茶褐色のシミが粘着質にひろがっているのだった。
 その先で道は大通りにぶつかる。車がすごいスピードで走り抜けている。「もうすぐそこだ」犬は道端の草のにおいを嗅ぎながらつぶやいた。「何が?」と訊いてみたものの、犬が何のことを言っているのか、わたしにはすっかり分かっていた。
 通りを越えると道はさらに下って谷へ降りてゆく。そこに彼女が、いや、彼女の屍体が大型のボストンバックに入れられて埋まっているのだ。それを掘りだしてあの本棚に仕舞わなければならない。そう、わたしがやらなければ誰がやるというのだ?
 犬の動きが活発になった。さかんに地面を嗅ぎながらせわしなく歩き回る。この辺りなのだ。わたしはシャベルを担ぎ、ゆっくりと、しかし確実にその場所へと向かってゆく。


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