さて、今回はジャズの生い立ちみたいなことを紹介する。といってもトウシロがかなりテキトーに書いてるんでその辺は勘弁して下され。
ジャズはなかなか古くからある音楽だ。どれくらい古いかというと、あまりハッキリとは言えないが、だいたいアメリカの南北戦争の終わった頃からある。というのは、南北戦争が終わって、軍楽隊の楽器が安値で大量に出回った。これをそれまで楽器を買えなかった人々、特に黒人たちが喜んで買って使い始めたんだな。で、彼らの間にあった音楽、ブルースなんかを演奏し始めたってワケなんだ。それがおおよそのジャズの起源。
彼らは演奏しているうちにしばしば元のメロディーを忘れちゃったりした。で、テキトーにごまかして間を埋めたりしたんだが、これが結構楽しい。そのうちこっちの方がメインになって、ちゃんと元のメロディーを演奏するのは始めと終わりだけ、間の部分はその場で思い付いたメロディーをアドリブで演奏するようになった。こんな風にジャズに即興演奏(インプロヴィゼーション)は欠かせないものになっていった。
その後の詳しい経過はとばすけど、とにかくジャズは黒人だけでなく、白人たちの間にも広がっていった。何しろ誰がやっても面白かったからね。ジャズは国民的な音楽までになった。ベニー・グッドマンのバンドがカーネギーホールというお堅いクラシック専用みたいなホールでコンサートを成功させたことは実に象徴的だった。
ちょうど1940年頃、ビ・バップというスタイルの確立はジャズ界での大事件といっていいだろう。細かいことは抜きにして、これによってジャズのアドリブの方法というのは一つの完成を見る。この辺の動きに大きく貢献したのはチャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーだとかいったミュージシャンたちだ。
その後、ジャズ界はビ・バップ一色という感じだったのだけど、同じことをやってるとそのうち何でも行き詰まるもんだ。それを打ち破ろうとしてマイルス・デイビスやビル・エバンスなんかが考え出した(というワケでもないんだろうけど)のが「モード」という手法だ。雑にいうと、ビ・バップというのは曲をコード(和音)で分割して、それに対応するスケールによってアドリブを行なうというもの、それに対し、モードというのはもっとおおまかな範囲に音階(モード)を設定して、その中の音を自由に使ってアドリブするというもの(あまりいい説明じゃないな、ご免)。とにかくもっと自由に演奏できるようにしようじゃないか、というのがモードだったんだな。
そして時代はさらに過激な自由を求めるようになる。それは1960年代、公民権運動が盛んになった頃だ。ここで出てきたのがフリージャズで、これはコードだとか、モードだとかもうとにかくみんなぶっ壊してやらあ(ちょっと違うかも)、というエネルギッシュな動きだった。しかし、そのうちこれは行き詰まってしまう。あまりにあっちこっち行き過ぎて先が見えなくなっちまったんだな、たぶん。
そしてフリージャズの挫折を横目で見ながらのさばってきたのがいわゆるフュージョンというやつらだ(言い方があまり好意的でないのはたぶん気のせいだ)。これはだいぶ長いことうろうろしていたが、まあ、そのうちおさまった。
で、結局のところ現在に至るまでこれといってそれ以外の大きな動きはジャズにはない。それぞれ先人たちの残した遺産で食っている、というのが現在のジャズ界の状況ではないだろうか。ちょっと言い過ぎかも知れないが、あたらずとも遠からずというところだろう。だからジャズの最新のアルバムと、20年ぐらい前のアルバムの違いは録音の質ぐらいのもので、本質的な違いはほとんどない。それどころか、リアルタイムでそのムーブメントをつくっていた昔の録音の方が勢いが感じられる分だけずっといい。
ということで、自然とこのコーナーで扱うものはちょっと古目のものになるかも知れない。10年ぐらい前のもので最新版、ここ1〜2年の録音だったら超最新版だ(笑)。そんなワケで次回。