実は「釣りオタク」なのか?


Sep.30

 ということで、今日はちょっとバカバカしい分析ごっこをしてみよう。何を分析するかというとオレの釣りに対する心構えというか、態度というか、まぁそこまで大袈裟なことでなくて付き合い方みたいなものだ。
 その前に「オタク」という言葉の定義から始めよう。ちょっと前までは「オタク」というと、かなり閉鎖的で陰湿なマニア集団、という印象が強かったのだが、最近では「オタク」が世に溢れ、すっかり市民権を得るに至った。それに伴って自然とその言葉の持つ意味も変容してきた。つまり「オタク」という言葉の指す内容は、今ではすっかり拡がってしまっているということだ。で、ここでは「オタク」というのを「あることについての周辺に特に強い興味を持つ人々、あるいはそういった姿勢」と定義しよう。これ今度のテストに出すからな、ちゃんとノート取っとけよ。
 なんかちょっと分かりにくい、という人のために例を挙げて説明しよう。例えば「アニメオタク」という場合、彼等はもちろんアニメそのもの(つまり話の筋やなんか)にも興味を持っているだろうが、それ以上にその周辺の情報、この役の声優は誰だとか、いつからいつまで放送されていただとか、キャラクターグッズだとかに大きな興味を抱いているものだ。そういう周辺にもっぱら興味を注ぐ、というのがここでいう「オタク」的な態度なのである。
 で、話を釣りのことに戻そう。はじめにも書いたように実はオレは「釣りオタク」なのではないか、ということを最近になって気付いたというワケなのだ。もちろん、オレは釣りそのものが好きだ。これからだんだん寒くなってきて釣りに行けなくなるのは何とも寂しい限りだし、春になって暖かくなってくるとまず考えるのが、そろそろ近くの池でブラックバスが釣れるだろうか、というようなことなのだ。
 しかし、特にここ何年かは釣りそのものよりも、その周辺にあるものに興味が移ってきた。例えば、釣りに行って何時間か経つと(場合にもよるが)釣りを止めてしまう。そして何をするかといえば水の中に生えている水草を引っこ抜いたり、網で岸際のアシの根元をあさったり、流れてくる水性昆虫を眺めたり、岸辺にやってくる鳥を目で追ったり、さらに眠いときにはその場で横になって寝てしまう。実は釣りそのもの、つまり魚を針にかけて釣り上げるということよりも、それらの周りにあることが楽しみで釣りに行くのだ。
 釣りそのものにしか興味がなかった頃はたいてい一人で釣りに行った。理由は簡単で、その方が沢山釣れるからである。最近も一人で行くことが多いのには変わりはないが、できる限り近くに住む友人(そいつもサラリーマンになってしまったのでなかなか都合がつかないのだが)を誘っていく。気のあった友人と、昔なじみの場所に行って肩に力を入れずに釣りをしながらぼんやり過ごすのがなんとも楽しいのである。
 釣りの周辺に興味を持つということの最たるものは、オレが大学に入ってかれこれ8年目にもなるのに未だに釣りについての研究、正確には釣り(この業界では「遊漁」というのだが)を取り巻く制度や社会環境なんかの研究を続けている、ということだ。これがまだ釣りそのものや、釣りの対象となる魚について研究しているというのならば直接釣りに結びつくのだが、こんなことを研究していると、調べる対象はほとんど人間や、人間のつくった制度といったものになる。そして必然的にどんどん釣りそのものからは離れていく(まぁ、調査に行くついでに各地で釣りをしていることはしているのだが)。極めつけなのはオレの書いた修士論文の中ではかなりのページ数を費やして「釣りをすることの意味」をあれこれ検討しているのだ。だいたい、いちいち釣りをするのになぜ釣りをするのだろうとか、釣りをすることがどんな意味を持つのだろうとか考えなければならないというのはバカバカしい限りだ。
 ということで、果たしてこの行き過ぎた「釣りオタク」的な態度というのはあまりよくないのではないか、ということも最近思い始めている。もっと自然に釣りを楽しんでいればいいではないか、と思うのだ。

 と、長々とこんなことを書くことがいちばん「オタク」的じゃねえか、とひとりで鋭く突っ込みを入れたのでした。(了)


釣りのページ