さようなら、西山徹


Mar.29

 今月始めにあの西山徹が亡くなった。食道癌だそうである。「惜しい人をなくした」とはありふれた表現であるが、本当に心からそう思う。下に某所に書かれた彼への追悼の言葉を引用する。

西山 徹氏の死を悼む
 釣り好きの少年の心を持ち続けた人でした。
 ざっくばらんな、見せかけや、カッコウにこだわらない人でした。
 「私はフライ・パターンには無頓着でして、ハハハ・・・」という人でした。
 あれだけ有名なのにけっして威張らない人でした。
 眠っている釣友をたたき起こして、「さあ、これから飲みましょう」という人でした。
 「コイはね、一匹ずつ個性があると思うんですよ」と言う人でした。
 「さあ、今日は爆釣でいきましょう。爆釣でね」と元気のいい人でした。
 テレビに出ているときはちょっと緊張気味で、ほんとはもっと気さくな人でした。
 ほんとうに、釣り好きの少年の心を持ち続けた人でした。
 天国でも釣りをしていることでしょう。いつまでも・・・
 合掌。

彼の人となりについては上記で言い表わされているだろうから、その他の点について私なりに少し追加してみると。
 彼はおそらく、日本において最も分かりやすく、合理的に、釣った魚のキャッチ&リリースを説いた人だ。手許にある『テツ・西山のバッシング講座』にはこんな具合に書かれている「1周15kmの河口湖に4,500尾のバスの成魚が育つと昭和51〜53年の間みたいにかなり釣れる状態になる。ところが、30cm以上の成魚4,500尾とは100人の釣り人が1年間に45日訪れ、1人が1尾ずつ持ち帰ると残らない量なんだ」。魚を釣りたい、そのためには魚を残しておくことが必要、というごくごく当たり前の事を理路整然ときっぱり言い切ることがすばらしい。
 釣りの方法についての解説も実に分かりやすい。とかく独りよがりになりがちな釣りの方法を、彼は実に合理的、単純な表現で我々に語りかけた。「ほら、こうすればいいんですよ」という具合で、それによって多くの人が釣りの世界に抵抗なくすっと入り込んだに違いない。
 また、彼はいち早く釣り場の色分け(ゾーニング)の必要性を提言していたひとりである。日本各地、世界各地の釣り場を数多く見て釣ってきた彼だからこそ、その発言にはひとつひとつ重みがあり、将来への見通しがあり、なにより明快でもあった。もはや日本にこのような人物はいない、そしてこれからも出てこないのではないだろうか。
 我々が失ったものは大きい。一つの時代が終焉したことを感じる。


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