復讐


Sep.27

 山形県にあるその川を初めて訪れたのは1997年の8月下旬。その時は15cmのイワナ1尾と17cmのヤマメ1尾という不本意な釣果しか得られないままやむなく敗退した。釣りをしている最中に原因不明の胸の痛みに襲われ、瀕死(ちょっと誇張)の状態のままレンタカーの返却時間を気にしながら山形市に急いだのである。
 それから2年。胸の傷も癒えたオレは復讐を果たすべく、川を目指した。千葉県の田園調布といわれた(ことはない)鎌ヶ谷を発ち、埼玉県加須インターを経由して東北道をひた走る。車の燃料計がなかなか減らないので壊れてるんじゃないかとの不安に怯えつつ。
 日曜日の夕方現地入りし、河川敷のキャンプ場の駐車場でたっぷりと睡眠をとって(18時半を過ぎると真っ暗でやることがなので眠るしかないのだ)英気を養う。釣りをしたのは1日半。月曜日まる1日と火曜日の午前中だ。(何故だか月曜日には妙にエサ師が多く、山形周辺の床屋はことごとくイワナ釣り師であるという確信を持つに至った)

 まずは月曜日の朝一番、日の出とともに沢の一つに入る。スポイルされたフライマンであるオレにとっては好ましい落差の小さい流れ。ここは2年前に正体不明の痛みに襲われた場所だ。何かの呪いかも知れない。しかし「呪いが恐くてイワナが釣れるか!」などという強引なキャッチフレーズで自らを鼓舞し、ひたすらエルクヘアカディスをキャストする。夏休みをくぐり抜けた渓流に魚は少ない。そしてこの2年の間に数多くの釣り人によって冒され、釣り場としても相当ダメになって来ているのだろうな、などと悲しみつつもロッドを振り続ける。

 写真はその竿とリール。安物の誉れ高きCoatacのセット。7ftの3-4番、5本継ぎのパックロッドだ。アルミケースも付属していて電車で持ち運ぶには重宝するが、竿の継ぎ目が使用中にすっぽ抜けることがよくあり、さすがはCoatacである。

 で、だ。オレは流れの端から端までくまなくフライを流し続けた。だが。エルクヘアカディスにまったく魚は反応しない。そもそもGink(フライフロータント)が尽きかけており、容器の底に半ば固まってこびりついているだけである。よっていつもなら度々フライに塗りたくってやるところを始めに一度ちょっぴりつけただけなので、数回キャストしたらもう沈みかかっている。水中に沈んだエルクヘアカディスなんてあんまり美味しそうじゃないし、こちらとしてもフライがどこを流れているのかよく把握できない。
 ええい、こうなったら、とフライをロイヤル・ウルフに付け替える。エルクヘアより水を吸いにくいので浮力が少しは長もちするだろうと思ったのだ。そして真っ白なカーフ・テールのウイングのおかげで見やすい。ただ#12のフックにお世辞にも繊細とは言えない雑な巻きっぷりだ。
 狙い通りこいつはよく浮いた。そして真っ白なカーフ・テイルのウイングとテールのお陰で馬鹿馬鹿しいほどよく見える。こんなに目立っていいもんだろうか。魚に嫌われるんじゃないだろうか。少し不安になりつつキャストを繰り返す。
 流れは大きく曲がっている。その先に岸が片側だけ護岸されていていて、その脇に深さ30cmほどの流れがあり、大小の岩が散らばっている所がある。2年前には魚の気配すらなかった場所だ。しかもかなり手をかけてマテリアルを必死的に沢山使って巻いたフライを投げてみたら護岸の上の方に生えている木の枝に引っ掛けてしまった。しかしなにしろコンクリートで固めた急勾配の斜面なので上に登っていってフライを取りにゆくワケにもいかないのだ。で、このフライは魚を一尾も釣ることなく失くしてしまった。
 そんなことでかなり悪い印象をもっている場所なのでちっとも期待せずに流していると、このロイヤル・ウルフをイワナが食った。でもバラしてしまう。めげずに続けるとその近くでまたライズ。がっちりと掛かってピチピチと上がってきたのをネットに入れる。20cmと小さいがなかなかプリっとしていて綺麗なイワナである。岩手の川にいる腹が真っ赤なヤツとは違い、全体に白っぽく、ちょっと上品な感じ。

 イワナなんてものは隣の沢にいけばもう違う模様をしている、なんてことはざらにあるのだけど、岩手の川にいるヤツはだいたい色合いが濃く、腹が鮮やかに橙色をしているようである。写真は岩手のとある川で釣ったイワナだが、随分と山形のこの川にいるのとは体色が違うのがお分かり頂けるだろうか(写真があんまりいい出来じゃなくて済まぬ)。
 そして岩手と山形では魚のいる場所もちょっと違うようだ。岩手のイワナはいかにもイワナ的な場所、つまり流心から外れたデレっとした流れとか、流木の下とか、岩裏のどんよりした所なんかにいる。そういうだらだらした所で「あーめんどくせ」とか言いながら過ごしているのだ。しかし山形のイワナはこういういかにもイワナ的な所にはいないんじゃないかという気がする。割合流れの強い流心にいることもあるし、底にちょっとした石がある所ならかなり開けた流れにもいたりする。なかなか活発で、ヤマメ的とまではいかないまでもかなりアマゴ的な場所にいるのだ。
 ヤマメ的、アマゴ的な場所というのはオレの勝手な基準なんだけど、ヤマメは流れがしっかりとあって開けた場所で活発に泳いでエサを採っている。そういうのがヤマメ的な場所。それに対し、アマゴは開けてはいるがヤマメよりはちょっと流れの弱いところにいる。まぁ、この分類はお世辞にも豊富とは言えないデータに基づいているので普遍性はないかも知れない。
 とにかく、そんな具合に岩手のどん臭いイワナちゃんに比べると山形のイワナさんは見た目も振る舞いもちょっとお上品でソフィスティケイテッド・レイディなのだ。でもオレ個人としては岩手のイワナのやる気のなさが愛おしい。

 話を山形の川に戻すと。それから少し先で同じフライを流すとイワナがふわーっと近付いてきて、フライをぱっくりくわえるのが見えたが、アワセ損なって逃がした。で、2年前に釣りをした区間の終わりまで来るとエサ師が二人づれで入渓していくのに出会ったので、出発点に戻ってもう一度通すことにした。そしたら下からも一人エサ師が上がってきて、オレの姿をみて引き返していった。その場所は昼過ぎまでやって小さいのを何度か出しただけで、見切りをつけて移動する。
 午後は本流の最上流部に行ってみた。林道が川を渡る所から覗き込むと(すごく谷が深いのだ)ちょうど橋の下でエサ師が釣りをしている。見ているうちに大きなイワナを掛けた。30cmは超えているだろう。派手に走って暴れ回っている。なかなか面白そうだ。でもその辺はかなり水深のある淵の連続で、あまりフライ向き(というよりはオレ向き)じゃない。川に下りてゆく道も見当たらないので引き返した。
 で、根城にしているキャンプ場に戻って河原に座り込んで飯を食いながら川を眺める。時折雨がぱらつくがすぐ止む。この辺りは2年前もしばらく竿を出したがちっとも釣れなかった。この時期になってこんなだだっ広い本流筋に魚が残っているとは思えなかった。でもこれだけ広い場所に魚がただの1尾もいないと言うのもあり得ない話なのでとにかくやってみる。川幅も広いし、うまく流れをかわしてメンディングするにも7ftの4番じゃきついので8ftの5番に持ち替える。だいぶ丹念に探ったが、ごく小さいヤツ(10〜15cm位)を2度ほどバラしただけ。他にも数人フライ師がいたが釣れてる人は見当たらなかった。17時ごろには土砂降りになってきたので車に逃げ込む。この川は雨が降るとかなり急激に水量が増えるし危険なのだ。
 ずぶ濡れになったので着替えつつ、なんか手が痛いな、と思って見ると右手の小指の付け根にマメができている。そりゃあ10時間も竿振ってるんだからマメのひとつやふたつはできるのだ。

 さて、明けて火曜日。ホントは月曜日のうちに帰っちゃおうかとも思っていたのだが、せっかくなので(というより眠くて帰るのが面倒になってそのままいただけ)午前中だけやってみる。入渓地点は同じ沢の同じ場所。手早く釣り上がってできるだけ上流を目指す。
 まずいい感じでエルクヘア・カディスに出た20cmくらいのイワナをバラす。ネットの中に取り込もうとして腰を落とす時にラインが弛んで逃げられるようだ。以後気をつけよう。しかし気をつけたところで魚はなかなかフライに食い付かない。
 前日に通した所はさくさくと通り過ぎ、いよいよ未知の領域に足を踏み入れる。かなり落差が大きく、いかにも源流らしい流れだ。でもこういう所はオレは苦手。ウェイトを巻き込んだニンフやなんかを白泡のなかにぶち込めば釣れるのかも知れないが、そういう釣り方は嫌いだ。そんなやり方で釣るぐらいならエサ釣りをした方がマシだ。やり方がうまくイメージできない、というのも大きい。
 そのうちに巨岩に行く手を阻まれる。流れもかなり深く、きつくなっているので川通しには遡行できない。巨岩の脇から巻いて上に出る。
 その上には再び平らな流れがある。しかし相変わらず魚の反応は薄い。だいぶエサ師に叩かれているのだろう。なにしろ月曜日には山形中の床屋がイワナ釣りに来ているのだ。
 流れもかなりだらしなく拡がっていて目ぼしいポイントは少ない。そんな中でもぐっとそそられる場所があった。流れの端で小さな落ち込みがあり、その下に流木が引っ掛かっている。そしてその下には落ち込みの脇から来た流れが合流している。水深は20cmほどで底には小振りな石が散らばっていて水面が小さく波立っている。ここに#12のバッタを流すと、イワナがすうっと追いかけていって食いついた。でも魚が食う所をみるとこちらが焦ってしまい、早アワセになってしまう。見事に外した。
 あ〜あ、もう出ないだろうな、と思いつつもう一度流すと再びきた。今度は落ち着いてアワセる。がっちり掛かった。イワナなんてものはアワセと同時にピチピチと上がってくるものだと勝手に思い込んでいたが、こいつはグイグイと上流に走った。流木の陰へ逃げ込む。太いティペット(0.8号)にものをいわせて強引に引きずり出す。ラインを緩めないように注意してネットに収める。
 メジャーをあてると27cmあった。今までに釣った中で一番大きいイワナだ。そればかりか、忍野の成魚放流もののブラウン、大泉実習場の(笑)ニジマスを除けばダントツの最大脂鰭魚だ。写真を撮り、ひとしきり眺めたりいじくり回したりしてから逃がしてやる。
 もう後はどうでもいい。釣れても良いし、釣れなくても良い。だからというワケでもないが、その後20cmくらいのイワナを掛けたがバラした。
 しばらく行くと巨大な砂防堰堤が目の前に立ちはだかった。2段になっていて1段目は高さ1.5mくらい、2段目は20mくらい(ああ、それくらいあったさ!)。上に抜ける道も見当たらないので引き返す。途中雨が激しく降ってくる。さっきまでカンカン照りで余りの暑さに長袖のシャツを脱ぎ、タンクトップ1枚になった所だったというのに。山の天気は変わりやすい。紛うかたなき永遠の真理だ。
 ということで釣りはそこまで。結局ちゃんと取り込めたのは2尾だけ。バラしたのを含めても10尾に満たないくらい。時期が悪いのか、この川は駄目になっているのか。どちらにせよ、オレはこの2尾で十分満足だった。何年先のことになるか分らないが、6月頃のいい時期に再びここを訪れたい。それまでは生き延びてくれ。


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